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2014年09月30日

島田神社

承久2年(1220年)源頼経の許しによって
勧進された貴船神社でした。

その後、伊勢、出雲、道祖神、稲荷等の
神々を合祀しました。

この地帯は細川忠興公が金谷の土手の築堤するまでは、山国川の本流でした。

低地、湿地であり蓮田が連なる場所で、洪水、被害の多い場所でした。

江戸期は蛭川と中の川の挟まれた境内地でした。

ご神木のたぶの木は人助けの木として大切にされました。

小さな陰陽石があります。
中津のパワースポットの一つです。  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 06:27Comments(0)

2014年09月29日

片岡鶴太郎、中津に❗️

中津で官兵衛祭り開催。

10月4日午後2時から、

中津文化会館で開催です。

ゲストに片岡鶴太郎さんです。

官兵衛を悩ませた主君、小寺政職の役の

イメージが強烈です。

また、ミスユニバース日本一の沼田萌花

さんのミニトークもあります。

大変、楽しみですね。  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 06:20Comments(0)

2014年09月28日

魚九蒲鉾店

中津市新博多町にあります。

5代めのオーナーであり、中津祇園の新

博多町の総代さんです。

真剣にお仕事をしています。

勝手にお邪魔しておりません。

電話で、呼びだされました。

昔ながらの、添加物のない熱々のてんぶ

らは、大変、美味しいです。

二枚も、食べました。

これから、中華の北京さんのチャンポン

と餃子です。

地元の食べ物は、最高です^o^  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 20:27Comments(0)

2014年09月28日

兵庫屋

その昔、中津市新博多町にありました。

元禄11年(1698年)に小笠原藩主に播州

三木郡井上村から同行して豊前中津に創

業しました。

十三代の井上寿吉は、百貨店方式の先覚

者で、明治、大正期に小倉、中津に店舗

を構えて豪商になりました。
  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 08:28Comments(0)

2014年09月27日

伊與田光男

伊與田光男。

資生堂の中興の祖と呼ばれています。

中津市諸町の伊與田一蔵の四男として生

まれました。

東京帝国大学理学部化学科を卒業して資

生堂に入りました。

昭和29年を満場一致で社長になります

た。
資生堂を国内企業のトップにしました。

昭和34年63歳で亡くなりました。

伊與田家の菩提樹は、新魚町の自性寺に

あります。

  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 08:49Comments(0)

2014年09月26日

黒田 官兵衛資料館

黒田 官兵衛資料館の入場者が20万人達成

です。

中津城に1月に開園してからの達成です。

NHKの大河ドラマ『軍師 官兵衛』の影響

が、大きな要因です。

中津市の史蹟ウォーキングも、大変な人

気です。

大河ドラマの終了後が、中津市の観光と

しての今後の課題ですね。  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 04:53Comments(0)

2014年09月25日

堀川と一番橋

江戸時代の終わり頃、

堀川から船場に一番橋から三番橋が、架

かっていました。

一番橋は、石の太鼓橋。

二番橋、三番橋は、木の橋でした。

一番橋の北側は運上場と呼ばれていまし

た。

運上場には、天領日田の米蔵、中津藩の

米蔵、藩の船小屋、高札場、川口番所、

運上番所など重要施設が、あったので、

この付近は大いにに賑わいました。

古老の話に運上場の出入りの荷物を運ぶ

大八車が、太鼓橋を渡るときは後押しを

したり、また中津祇園祭りの山車が渡る

ときは総出で押したり引いたりしたそう

です。  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 04:49Comments(0)

2014年09月24日

大石内蔵助の石灯籠

大石内蔵助(良雄)奉納の二基の石灯籠

が、あります。

中津市寺町の大法寺さんです。

忠臣蔵の主役、赤穂藩主浅野家の家臣。

1659年(元治2年)大石良昭の長男として

生まれる。

1703年(元禄16年)切腹 享年45歳であ

る。

中津に和傘を伝授したのは、赤穂の浪士

です。何か由縁を感じます。  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 05:29Comments(0)

2014年09月23日

コップのフチ子

コップのフチ子シリーズです。

どんどん増えています。

小さいけど、コップが必要だから

結構大変です(^○^)  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 13:56Comments(0)

2014年09月22日

辯財天宮

中津市南堀川町にあります

辯財天宮(べんざいてんぐう)

元和6年(1620年)細川忠利候が、中津城

の外堀をつくり海水を引いたときに、堀

川の葦原(あしはら)に辯財天を祀った

のが辯財天宮です。七福神の一つで水辺に

祀られています中津では数少ない辯財天

宮です。インドの神で音曲、知恵、福才を

つかさどる神です。元禄二巳巳年(1689

年)″奉願成就″と彫られた手洗い鉢は302

年の歴史を語っています。  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 12:46Comments(0)

2014年09月21日

北京の餃子

中津市の北京さんです。

久しぶりの餃子です。

ボリュームがあります。

大変、美味しいです。

至福です。  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 19:33Comments(0)

2014年09月21日

山国大橋

福岡県吉富町と大分県殿町にかかってい

る橋です。

とてもみじかな橋。

でも橋の土台は、古いんです。

明治期に造られております。

その時代、現在のモータリゼーションを

予測していたのでしょうか?

凄い。

県道108号線の重要な橋です。  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 07:43Comments(0)

2014年09月19日

伸榮旅館

伸榮旅館さん

中津市京町1239にあります。

明治期に「西津田屋」旅館として木造三

階建ての建物として建てられました。

西側は、武家屋敷街の町の片端町。

道幅がこの旅館の前から細くなってい

て、町の性格がよくわかります。  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 07:57Comments(0)

2014年09月18日

朝陽丸

豊前中津 奥平藩の御座船。

『朝陽丸』の摺絵です。

大阪より船路138里かかりました。

五代藩主 奥平昌高公の時代の御座船と推

測されます。

奥平時代(1717年〜1869年)の参勤交代

に使用されました。

闇無浜神社の横の竜王の浜のお船寄りに

係留され、北門から藩公は乗船され大阪

を目指して出港しました。

漆塗りの豪華なな御座船でした。  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 06:40Comments(0)

2014年09月17日

秀峰苑アパート

秀峰苑アパート。

中津市古博多町にあります。

昭和初期の木造二階建て建築です。

その昔、第百三十銀行、安田銀行、福岡

銀行、正金相互銀行(福岡中央銀行)を

えまして現在の秀峰苑アパートになりま

した。

とてもレトロとロマンのアパートです。  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 07:38Comments(0)

2014年09月15日

御船寄り

お船寄り。
中津市竜王町
幕藩時代、藩船「朝陽丸」(藩主参勤の

御座船)やこれに随行する御用船が停泊

していた港です。

御船寄りと呼ばれていました。

明治維新後から物資の流通が盛んにな

り、港周辺には料亭、旅籠が立ち並ぶほ

どの賑わいを見せていました。当時の面

影を伝える玉石積みの船溜まりが残され

ております。  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 09:54Comments(0)

2014年09月14日

東北•中津神楽競演祭

中津城河川敷の神楽競演祭です。

只今、福島県相馬市のお神楽です。

今日は、夜の9時まで、お神楽競演祭で

す。  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 16:49Comments(0)

2014年09月13日

中津観月祭

今日の夕方、16時から中津観月祭の前夜

祭です。

只今、設営準備をしています。

西部自衛隊の演奏、明日が、東北宮城か

らのお神楽です。地元のお神楽も、参加し

ています。

お集まり下さい。  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 13:17Comments(0)

2014年09月12日

開店寿司競争❗️

くら寿司は、マグロ特集!

スシローは、貝特集!

どっちに、行こうか迷います。

皆さん、どっちに、行きますか?  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 20:47Comments(0)

2014年09月12日

羅漢寺

耶馬渓町 645年(大化元年)に

インドから渡りました法道仙人は

この山の地形に霊的な美しさを見出し、

この羅漢寺を開山しました。

その後、場所柄山岳仏教の聖地として天

台宗のお寺としてここにありました。

その後、1337年臨済宗、栄西の弟子の照

覚禅師が羅漢を奉納し臨済宗のお寺とし

て羅漢寺と名ずけられました。

三代将軍、足利義光が建立しました。

江戸時代になと曹洞宗になり東照宮を祀

り幕府から100石が与えられました。  続きを読む

Posted by 古江聰忠 at 05:16Comments(0)