2014年10月10日
中津城の地蔵菩薩像
高輪地蔵菩薩像の由来
徳川家4代将軍の家綱の頃(明暦2年、1656年)
奥平家は東京、高輪南町に下屋敷がありました。
その頃も現在と変わらず隣との地境争いになっていました。
しかし裁き所で証人として出た隣藩の名もなき家臣が「ここまでは我が藩の屋敷だが、そこからは奥平藩の土地である」と堂々と証言したと伝えられています。
これに腹を立てた上司達は、即刻、彼を死罪にして亡骸を奥平家の屋敷に投げ入れました。
中津藩主 4代忠昌公は、これにとても心を痛め、供養してこの家臣を地蔵菩薩像に納めて終生お参りをしました。
大地の神、地蔵菩薩像は屋敷神として古くから崇拝されています。この度、新たな使命としてここ中津城本丸に祀られました。
徳川家4代将軍の家綱の頃(明暦2年、1656年)
奥平家は東京、高輪南町に下屋敷がありました。
その頃も現在と変わらず隣との地境争いになっていました。
しかし裁き所で証人として出た隣藩の名もなき家臣が「ここまでは我が藩の屋敷だが、そこからは奥平藩の土地である」と堂々と証言したと伝えられています。
これに腹を立てた上司達は、即刻、彼を死罪にして亡骸を奥平家の屋敷に投げ入れました。
中津藩主 4代忠昌公は、これにとても心を痛め、供養してこの家臣を地蔵菩薩像に納めて終生お参りをしました。
大地の神、地蔵菩薩像は屋敷神として古くから崇拝されています。この度、新たな使命としてここ中津城本丸に祀られました。



Posted by 古江聰忠 at 05:22│Comments(0)
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