2014年09月25日
堀川と一番橋
江戸時代の終わり頃、
堀川から船場に一番橋から三番橋が、架
かっていました。
一番橋は、石の太鼓橋。
二番橋、三番橋は、木の橋でした。
一番橋の北側は運上場と呼ばれていまし
た。
運上場には、天領日田の米蔵、中津藩の
米蔵、藩の船小屋、高札場、川口番所、
運上番所など重要施設が、あったので、
この付近は大いにに賑わいました。
古老の話に運上場の出入りの荷物を運ぶ
大八車が、太鼓橋を渡るときは後押しを
したり、また中津祇園祭りの山車が渡る
ときは総出で押したり引いたりしたそう
です。
堀川から船場に一番橋から三番橋が、架
かっていました。
一番橋は、石の太鼓橋。
二番橋、三番橋は、木の橋でした。
一番橋の北側は運上場と呼ばれていまし
た。
運上場には、天領日田の米蔵、中津藩の
米蔵、藩の船小屋、高札場、川口番所、
運上番所など重要施設が、あったので、
この付近は大いにに賑わいました。
古老の話に運上場の出入りの荷物を運ぶ
大八車が、太鼓橋を渡るときは後押しを
したり、また中津祇園祭りの山車が渡る
ときは総出で押したり引いたりしたそう
です。




Posted by 古江聰忠 at 04:49│Comments(0)