2014年09月10日
中里 眞清
中里 眞清(なかざと まきよ)
慶応元年(1865年)中津市大塚の大西重
田の長男として生まれ、城下中里家の婿
に入りました。早稲田大学を卒業して、
そな後、九州鉄道管理局長を務めまし
た。耶馬渓鉄道の計画から、帰郷しまし
た。耶馬渓鉄道の開通に力を注ぎまし
た。大正13年に全線36.106キロメートル
が、中津から守実まで開通して、専務か
ら社長になりました。耶馬渓、中津の発
展に、繋がりました。
その後、二代目の中津市長になり、中津
商工会議所の設立、中津信用組合の創立
などに、貢献いたしました。
昭和14年、病のため死亡しました。
お墓は寺町の合元寺にあります。
慶応元年(1865年)中津市大塚の大西重
田の長男として生まれ、城下中里家の婿
に入りました。早稲田大学を卒業して、
そな後、九州鉄道管理局長を務めまし
た。耶馬渓鉄道の計画から、帰郷しまし
た。耶馬渓鉄道の開通に力を注ぎまし
た。大正13年に全線36.106キロメートル
が、中津から守実まで開通して、専務か
ら社長になりました。耶馬渓、中津の発
展に、繋がりました。
その後、二代目の中津市長になり、中津
商工会議所の設立、中津信用組合の創立
などに、貢献いたしました。
昭和14年、病のため死亡しました。
お墓は寺町の合元寺にあります。

Posted by 古江聰忠 at 08:37│Comments(0)