中津城の地蔵菩薩像

古江聰忠

2014年10月10日 05:22

高輪地蔵菩薩像の由来

徳川家4代将軍の家綱の頃(明暦2年、1656年)

奥平家は東京、高輪南町に下屋敷がありました。

その頃も現在と変わらず隣との地境争いになっていました。

しかし裁き所で証人として出た隣藩の名もなき家臣が「ここまでは我が藩の屋敷だが、そこからは奥平藩の土地である」と堂々と証言したと伝えられています。

これに腹を立てた上司達は、即刻、彼を死罪にして亡骸を奥平家の屋敷に投げ入れました。

中津藩主 4代忠昌公は、これにとても心を痛め、供養してこの家臣を地蔵菩薩像に納めて終生お参りをしました。

大地の神、地蔵菩薩像は屋敷神として古くから崇拝されています。この度、新たな使命としてここ中津城本丸に祀られました。